龍虎の掛け軸とボンタンアメを箱いっぱいに詰めて送ってくれたおじいちゃんにまた会って話がしたい!

日常

グミ大好きグミ助です!

今日は、ずっと前から書こう書こうと思っていた「ボンタンアメ」の思い出を語ろうかなと思っております。ボンタンアメって結構グミコーナーの近くに陳列されてるんですよね。カラフルで今っぽいパッケージのグミに負けず劣らず、古き良き味わいを感じるパッケージ。まだまだ若い最近のグミの傍らで全てを悟っているかのように優しい眼差しで今を見守っているようにも見えるボンタンアメ。

グミ助の母、ハハ助は故郷が熊本で、今回お話するおじいちゃん(ハハ助のお父さん)も熊本に住んでいました。

おじいちゃんはとても絵が上手くて、石に絵を書いたものをお土産として売って、ハハ助含め4人姉妹を育てたそうです。お土産はそんなに売れず(?)すごく貧乏だったらしいです。

グミ助一家は当時関西に住んでいて、グミ助が小学校3年生くらいの時にチチ助とハハ助が共働きで必死に頑張ってマイホームを建ててくれました。

マイホーム建築祝いに、熊本に住んでいたおじいちゃんが龍と虎が向き合う迫力満点の大きな掛け軸を描いて送ってくれました。掛け軸なんかに興味なんてないであろう子供時代のグミ助も圧倒される見事な掛け軸でした。

その掛け軸と一緒に送ってきてくれたのが段ボール箱いっぱいのボンタンアメ。相当な量があったと思います。ボンタンアメのパッケージはゴリゴリのオッサンになった今でこそ、その味わいや懐かしさとしての良さがわかりますが、当時キラッキラの子供のグミ助にはそれがわかるはずもなく、あまり喜んでなかった記憶があります。

九州では大人も子供も当たり前のように食べていて親しまれていたボンタンアメをいっぱい送ったらグミ助も喜んでくれると思ったのでしょう。絵はめちゃくちゃ上手なのに、それ以外で子供を喜ばせるのは少し不器用だったのかななどと考えると少し笑えます。

おじいちゃんお手製の龍虎の掛け軸は新しい一軒家の和室にある床の間に飾られました。段ボールに入ったボンタンアメはその床の間の片隅に保管されていました。

パッケージではテンションが上がりませんでしたが、ボンタンアメ自体の味は好きでした。ボンタンアメの味わいについてはセイカ食品さんがこちらでしっかりと説明しているのでお任せするのですが、自然でやさしい甘さと、ほんのり香る柑橘系の風味、あとは食感にハマっていた気がします。ボンタンアメの食感って今でいうゼラチンフリーのねっとりとしたグミに似てるんですが、当時こういう食感のお菓子ってなかったんじゃないかなあと。ゆえに少なくとも当時のグミ助は衝撃を受けたはずです。あと、飴を包んだオブラートが口の中で溶けていく感覚もクセになっちゃってました。

毎日、学校から帰ってくると、床の間に置いてあるボンタンアメを食べながらおじいちゃんの龍虎の掛け軸を眺めていました。いまにも動き出しそうな龍と虎の迫力に吸い込まれてたんじゃないかと思うくらい小一時間毎日のように眺めていたと思います。

グミ助は関西、おじいちゃんは熊本と、とても離れていたので当時からなかなか会うことはできませんでした。

時間が経つにつれ、掛け軸を眺めることもなくなり、勉強や部活、友達との付き合いと忙しくするグミ助がおじいちゃんのことを思い出す時間もそこまで多くはありませんでした。

数年後、いろいろな事情で、その一軒家から引っ越すことになるのですが、その時は掛け軸のことも気に留めることもありませんでした。。。

グミ助が高校3年生の時にグラフィックデザイナーを志すのですが、それと同じ時期におじいちゃんが亡くなりました。今でも悔いが残るのが、「おじいちゃんに絵の話をたくさん聞いておけばよかった」ということです。せめて、あの龍虎の掛け軸だけでも残ってないかとおもってハハ助に確認しましたがそれも処分してしまったとのことでした。

店頭にならぶボンタンアメを見かけては、たまに食べて思い出すおじいちゃんの掛け軸とそれを眺めながら食べたボンタンアメの味。今もモノづくりに関わる仕事をしているグミ助に「ボンタンアメの味のように優しく、多くの人に親しまれるようになれば、どんなに時代が変わっても長く継続することができる!」と天国からおじいちゃんが教えてくれているのかもしれません。

仕事に悩んだり、辛くなったりした時はボンタンアメを食べて、おじいちゃんが描いた龍虎のように力強いアウトプットや成果を残せるようにこれからも頑張ろうと思います。

そして、そんなおじいちゃんを思い出すボンタンアメが今も変わらず店頭に並んでいてくれることに感謝します。

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