おつかれちゃんです。グミ助です。
以前、私が「適応障害」と診断されて、その原因が、
中年の危機(ミッドライフクライシス)にあるのではないかという話を書いた。
また、別の記事で未経験のマーケティング・インサイドセールスに飛び込んだ話も書いた。
「適応障害」と診断され、
その原因がミッドライフクライシスであることを突き止め、
環境を変えるために異動願いを出し、
全く未経験のマーケティング・インサイドセールスの仕事に飛び込んだ僕。
マーケティング・インサイドセールスはそれまで経験したクリエイティブの仕事とは違い、
主に「数字」を求められる仕事である。
そんな仕事に飛び込んで、「適応障害」が悪化するのではないかと想像しがちだが、
意外や意外、数字に向き合うことで、自分が良い方向に向かっていることを実感していて、
今日はそのことを書きたいと思う。
いきなり、話は少し逸れるが、僕は「草むしり」が好きだ。
家の庭の草むしりは僕の役目で、どんなに熱い夏でも寒い冬でも、草むしりは苦にならない。
なぜかというと、
「何も考えずにやっても、やったことが結果として見えるから」
だと思う。
草をひたすらムシっていればいつか終わるし、終わった後は確実に庭がきれいになっている。
草むしりする前と後の変化がはっきりわかることで、大きな達成感を得られる。
よく、土をいじると心身に良いという話をよく聞く。
自然に触れることで、精神が安定するということももちろんあるのだろう。
ただ、もうひとつ、
「何かをやった時の前後がはっきりわかることが精神安定につながる」
のではないか?と思うことがある。
僕が「適応障害」を患った原因…
中年の危機も原因としてあっただろうけど、もうひとつ、今だから気づいたことがある。
当時、とある部署のマネージャーをしていたが、
この部署も未経験の業務を担当する部署だった。
未経験ながらも自分なりに必死にその役割を果たそうと頑張ってみたが、
うまくはいかなかった。
上司に相談し、経験のある人を採用して、その部署のマネージャーに入ってもらうことにした。
新任マネージャーはとても優秀な人で、
その部署を適切な形にガンガン変えていってくれた。
安心する一方で、自分がいままでやってきたことを
全否定されているように感じてしまうようになった。
新任マネージャーやメンバーから、そういうことを言われたわけではなく、
自分で勝手にそう思い込んでしまっていた。
そこから、徐々に心身のバランスを崩していったのだった。
なぜ、自分が全否定されているように勝手に感じてしまったのか?
それは、
「自分が今までやってきたことを、結果として見えるようにしていなかった」
からかもしれない。
業務の引き継ぎの際に、新任マネージャーやメンバーから質問や指摘をされた時、
自分がなぜそうしたのか?そして、そのやったことが正しかったのか間違っていたのか?が、
自分でもわからなかったことが多かった。
マネージャーの仕事の忙しさにかまけて、
感覚で仕事をしていたことを突きつけられたようで、愕然とした。
いや、自分が感覚で仕事をしていることは、とうの昔から気づいていた。
そんな中で、メンバーに意思決定を求められ、
そんな状態で指示を出してしまっていることが申し訳なさすぎて、
もっと頑張ろうとするあまり、夜中まで仕事をするけど、
一夜漬けで解決する問題でもなく、翌日はまた感覚で仕事をして、、、
という、負のスパイラルで心身のバランスを崩していったのだと思う。
「数字」というのは、やったことを評価する時に最も有効なツールである。
「数字」にすることで、何かをやったことの前後が比較ができるようになり、
それが良かったのか悪かったのか、
良かったのであればそれを伸ばしていけばいいし、
悪かったのであれば改善したり、場合によってはやめてしまえばいい。
僕は「数字」に対して、ものすごく苦手意識のある人間で、
極力「数字」に向き合うことから逃げる人生を送っていた。
マーケティング・インサイドセールスの部署に飛び込んで、
その「数字」に強制的に向き合わなければいけなくなった。
ただ、前と違うのが、管理職を辞したので、部署の一兵卒として、
数字に向き合うための時間が大幅に増えたことだった。
自分がやったことを少しずつ、「数字」で見えるようにしていった。
本やグーグル先生、AI先生のお力を借りつつ、
毎日、少しずつ少しずつ。
最初は拙い数字でも、アウトプットして、何も言われなくてもこまめに報告するようにした。
そうすると、自分がやったことの結果が見えるようになってきた。
それが良かったのか悪かったのか、はっきりわかるようになった。
そして、なぜそうしたのかを自信をもって説明できるようになった。
結果が悪かったとしても、その理由を説明し、今、改善に向けてアクションしていることまで、
しっかりと伝えることができるようになった。
僕が好きな「草むしり」で感じていた達成感。
それが仕事でも、「数字」という「結果」を見て、感じることができるようになっていた。
悪い結果でも、「これをすると良くない」というデータが見えることで、
じゃあ次はこうすれば良いのだと、次の行動ができるようになった。
あれだけ毛嫌いしていた数字が、僕の「感覚で仕事をする」ことで感じていた、
「漠然とした不安」を打ち消してくれていた。
「数字」は自分のやったことがはっきりとわかってしまうから、
なんとなく、ごまかすことはできなくなってしまう。
だから、毛嫌いする人も多いのかもしれない。
でも、「数字」は自分が進むべき方向をはっきりと照らす光にもなる。
僕の場合は、その「数字」が仕事に対する「漠然とした不安」を打ち消す光になっている。
結果、「適応障害」の症状も年々、軽くなっている。
どうせ、悩んだまま時間が過ぎるのであれば、
今の環境をガラッと変えて今まで触れなかった
正反対の世界に飛び込んでみるのもいいのかもしれない。
それで失敗してもいいと思う。
どちらにせよ、今のままいても状況は変わらなかったはずなのだから。




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